IBM iを知らない人へ、 IBM iを説明する時に役立つコンピュータ知識②

IBM iを知らない人へ、 IBM iを説明する時に役立つコンピュータ知識②

その他2023.03.24



前回のコラムではコンピュータの分類と、その中における『オフコン』の立ち位置を確認しました。
今回は、オフコンを語る際に避けては通れない『メインフレーム』についての情報を整理してみたいと思います。

メインフレームって何?

メインフレームとは・・・

メインフレームを直訳すると『主な枠』となります。何のことだか分かり難いですが、要は様々な機器で構成されるシステムの中核を担うコンピュータ部分を指しているという説が有力です。
そもそも、誕生の時点では単なる『コンピュータ』としか呼ばれていなかったそうですが、その小型版である『ミニコン』などが登場した後に、対比としてその様に呼ばれ始めたとのことです。

現在では主に企業など巨大な組織の基幹情報システムなどに使用される大型コンピュータのことを指しますが、元々明確な定義があった訳ではないので、汎用コンピュータ、汎用機、大型汎用コンピュータ、ホストコンピュータ、大型汎用機などと様々な呼ばれ方をされます。
ちなみに、初期のメインフレームは商用演算(十進計算など)や科学技術演算(浮動小数点計算など)にそれぞれ特化した専用機でしたので、『汎用機』という呼び方はその時点ではまだ正しくありません。

商用のメインフレームは、主に基幹業務(企業や団体の事業内容と直接的にかかわる業務。例えば受発注処理や販売管理、在庫管理など)で利用されます。
企業活動の中核となる業務処理ですので、正確かつ安定して処理を行い、高信頼なシステムである必要もあり、加えて厳しい可用性要件も満たす必要があります。

意図しないシステムの停止やデータの破損や消失は論外ですし、処理の遅延や停滞も会社の利益を大きく損ないます。それらのトラブルは企業の信用にも大きな影を与える場合もありますので、メインフレームは単純な処理性能だけではなく、RASIS(信頼性、可用性、保守性、完全性、機密性)と呼ばれる5つの要素も厳しく求められます。

簡単にまとめると、事務処理に利用されるメインフレームは、大企業で生じる多種大量のデータ入出力や計算処理を正確かつ迅速に行い、長期に渡って安定して常時稼働することを目的にしたコンピュータです。
当然ながらそんな全部入りとも言える目的を達成するためには、相応のサイズとコストが必要になります。

次は具体的なメインフレームのイメージを掴むために、世界初の汎用機と呼ばれるIBM System/360が生まれるまでの、IBMのメインフレームの歴史を整理していきます。

IBMのメインフレーム① IBM 701について

IBM最初のメインフレーム

1952年4月29日。GHQが廃止されて、日本の主権が回復した翌日。
IBMは科学技術計算用としてプログラム内蔵方式の大型商用コンピューターとなる『IBM 701 Electronic Data Processing Machine』(IBM 701電子データ処理マシン)を発表しました。

このIBM 701が後の700/7000シリーズの最初の機種であり、IBMにとって初の真空管方式を採用したコンピューターです。

演算ユニットには1071個の真空管を搭載し、メモリには直径3インチの陰極線管を使用したウィリアムス管と呼ばれる記憶装置(1本あたり1024bit)を72本使用していました。1秒間に21,000回の演算が可能だったとされているIBM 701ですが、月間リース料が1.2万~1.8万ドル(週に40時間までは月間1.5万ドル、これを超えた分は40時間まで月間2万ドルという資料もある)とのことです。
また、構成によって異なるものの、総重量は9トンを超えることもあったそうです。

ちなみに、1952年当時は1ドル=360円。公務員の大卒初任給が6,500円の時代です。令和3年度の地方公務員(一般行政職)大卒初任給が187,623円であることを踏まえると、当時の1万ドルは現在の1億円もしくはそれ以上の価値があったと考えることもできるため、月当たりのコストとしては非常に大きなものと言えます。

現在から考えると、非常に慎ましやかな性能であるにも関わらず、甚大なコストを要求しているように思えますが、現実に18社の顧客を得ることに成功したIBMで初めてのメインフレームです。

IBMのメインフレーム② IBM 650について

世界初の大量生産されたコンピュータ

1953年7月2日。NHKが日本で初のテレビ放送を東京で開始したおよそ5か月後。
IBMは従来のものより小型で低価格のコンピュータ『IBM 650』を発表しました。

それまでのコンピュータ開発では、先行する機種よりも演算能力が高速であることを一番の目標に掲げることが主流でしたが、IBM 650は『手ごろな価格で使いやすい』ことを目標に設計されました。

その結果、性能の向上はともかくとして、本体重量は900kg超、本体とは別の電源ユニットが1350kg。サイズはそれぞれおおよそ幅0.9m×奥行1.5m×高さ1.8m。販売価格は50万ドル(リースは月額3,500ドル)としてIBM 650は提供されました。
ちなみに、1954年当時は1ドル=360円。公務員の大卒初任給が8,700円の時代です。現在の価格にすると50万ドルが約38.8億円、3,500ドルが約2,700万円くらいの計算になります。

現在の感覚からすればまだかなり大きく、高価なものという印象が拭えませんが、従来の1/3~1/4の価格でひとつの部屋に収まるサイズというのは、当時としては十分に小型で低価格という認識だったのだと思います。

また、2進法ではなく10進法でプログラムできるなど、高校でのプログラミング教育でも利用可能なほどに容易なプログラム環境を実現していました。

この様に、科学技術計算だけでなく汎用向けとしても利用できるマシンとして『手ごろな価格で使いやすい』を実現したIBM 650は生産終了の1962年までに2,000システム以上が製造されるベストセラーになったとのことです。

IBMのメインフレーム③ IBM 1401について

中小企業でも手の届く電子式データ処理システム

1959年10月5日。巨人の長嶋茂雄が天覧試合で阪神の村山実からサヨナラ本塁打を決めたおよそ3カ月後。
IBMは可変ワード長十進コンピュータの『IBM 1401』を発表しました。

このIBM 1401はIBM 1400シリーズの最初の機種であり、パンチカードに格納したデータを処理する電気機械式のタビュレーティングマシン(作表機あるいは会計機)の代替となることを意図していたコンピュータです。

全てトランジスタ化された IBM 1401データ処理システムは、本来の代替目的である高速なカードパンチと読み取り機能のみに留まらず、磁気テープの入出力や高速印刷、内蔵式プログラム、さらには算術および論理演算能力といった様々な機能を提供しました。
さらに、IBM 1401は独立したシステムとしても、IBMパンチカード機器と連携した形でも、IBM 700/7000シリーズのシステムの補助装置としても運用できました。

実際のところ、演算性能自体は、毎分19万3300回の加算と25000回の乗算が可能ではあったものの、これはIBM 650と比べると一桁遅い(IBM 1401は加算に3.1ミリ秒、IBM 650は0.4ミリ秒)と言わざるを得なかったのですが、その代わりに価格が安く抑えられ、それまでパンチカード機器しか使えなかった中小企業でも手の届く価格(リースは月額2,500ドルから)で電子式データ処理システムの機能を実現しました。

価格を低く抑えたIBM 1401は市場で多大なる人気を獲得します。
最終的には1万台以上が生産され、米国で新機種に取って代わられた後も後進国にリース、あるいは再販されたこともあって、1960年代中頃のピーク時には世界の全てのコンピュータシステムのほぼ半数がIBM 1401型のシステムだったとのことです。

IBMのメインフレーム④ IBM System/360について

史上最も成功したコンピュータ設計の1つ

1964年4月7日。東京オリンピックの開幕まで残り半年に迫った頃。
IBMはマイクロプログラム方式を採用した『IBM System/360』を発表しました。

商用から科学技術計算まで全方位(360度)の用途に対応できるという意味を込めて『IBM System/360』と名付けられたこの機体は、世界初の汎用機と言われています。

当時のコンピュータは、シリーズが同じであってもモデルごとにプログラムが異なっているのが普通だったため、コンピュータを移行する際には、ハードウェアだけではなくプログラムも修正する必要がありました。
マイクロプログラム方式とは、簡単に言えば仮想化に近いもので、ハードウェアの違いをマイクロプログラムで吸収することで、同じシリーズであれば仮に上位モデルに移行しても既存のプログラムの利用を可能にします。

IBM System/360は小型から大型まで、商用から科学技術計算まで、あらゆる用途をカバーする6つのモデルでファミリを形成しました。そのローエンドモデルとハイエンドモデルでは、科学技術計算性能で180倍以上、メモリ帯域では実に230倍以上の性能差があったとのことで、事業の成長や目的の変更に合わせて移行する際のモデルの選択肢が豊富な上に、それまでのプログラム資産が無駄にならずに済むことから、多くの企業で支持されたそうです。

商用では初のオペレーティングシステムや仮想機械が登場したIBM System/360の設計は『史上最も成功したコンピュータ設計の1つ』と謳われるだけあって、競合他社を市場で圧倒したことも納得できます。

それまで5系統(701シリーズ、702シリーズ、650シリーズ、1401シリーズ、その他)あったIBMのコンピュータを統合する形となったIBM System/360の開発プロジェクトですが、IBMの投資金額は50億ドルとも言われています。1964年のIBMの売り上げが32億ドルとのことですので、かなり思い切った開発投資だったと言えます。

ちなみに、当時は1ドル=360円ですので日本円に直すと1.8兆円になります。現在の1.8兆円ですら十分に巨額ですが、1964年の日本の公務員の大卒初任給が17,100円であることを考えると現在の価値観では約20兆円にもなります。勿論、当時は固定為替相場ですし、実際の経済感覚ではもっと低くなると思いますが、それでもとんでもない巨額であることだけは間違いありません。

その巨額投資は、出荷台数3万3000台というIBM System/360の大成功に繋がりました。

その後、System/360シリーズのアーキテクチャやアプリケーション・プログラムの互換性は、後続のSystem/370、System/390だけでなく、IBM Zまで引き継がれて今日に至ります。

まとめ

IBMのメインフレームの歴史

今回はIBMのメインフレームの歴史を題材としてメインフレームの理解を掘り進めてみました。

意外にも、IBM 650やIBM 1401の様に、使い勝手や低価格へのアプローチはメインフレーム開発の比較的序盤から行われていました。
演算性能だけに特化するというメインフレームのイメージは若干修正が必要かも知れません。

とはいえ、基本的にその時代における『高性能』を突き詰めたコンピュータがメインフレームという印象で大きな間違いはありません。
処理速度やデータ容量、さらに安定性や冗長性などの性能を純粋に求めれば、残念ながらコストやサイズが犠牲になります。
結果的に、メインフレームが高価で巨大になるのはやむを得ないことなのでしょう。

この性能を第一に追求するというメインフレームの本流のイメージを土台として、次回はオフコンについて情報を整理して、結局オフコンはメインフレームとどの様に違うのかを考えてみたいと思います。