IBM iを知らない人へ、 IBM iを説明する時に役立つコンピュータ知識③

IBM iを知らない人へ、 IBM iを説明する時に役立つコンピュータ知識③

その他2023.06.14

IBMiを説明するときに役立つコンピュータ知識


前回のコラムでは、IBMのオフコンを語る際に避けては通れないIBMのメインフレームの歴史を紐解いて情報を整理してみました。
今回は、IBMのオフコンの歴史を通じて、IBM i、AS/400が登場する直前までの状況を確認していきたいと思います。

オフコンって何?

オフコンとは・・・

主に中小企業等での事務処理を行うために設計された、メインフレームより小型のコンピュータがオフコンであることは前々回のコラムで掲載した通りです。どうしても大型で高価になってしまうメインフレームは、中小企業では手が出せません。とはいえ、仮に手が出せるコストであったとしても、場当たり的に性能を抑えて、結果として業務遂行に不十分な性能では本末転倒です。

ちなみに、ミニコン(オフコン)は1960年代中頃にDEC社が開拓した市場と言われていますが、IBMはメインフレーム(IBM System/360)で大成功を収めた反面、ミニコン市場への参入は遅れてしまいました。その遅れはかなり厳しく、IBM初のオフコン『IBM System/3』の投入から10年以上経過した1980年ですら市場シェアは4%程度だったとのことですので、正直に言えば『低迷』していたと言っても過言ではないでしょう。

今回のコラムでは、IBMが劣勢なオフコン市場で戦うために価格を抑えることを大前提としながらも、中小企業で求められる性能を模索してきた足跡、言い換えれば『中小企業にハマる最適な設計』という側面を意識しながら、オフコンの歴史を眺めていきたいと思います。

IBMのオフコン① IBM System/3について

IBM初めてのミッドレンジコンピュータ

1969年7月30日。アポロ11号の人類初の月面着陸に世界中が熱狂した10日後。
IBMは初めてのオフコン『IBM System/3』を発表しました。

IBM System/3は、コスト的にIBM Systemn/360には手を出しにくい中小企業や、それ以下の規模の企業を対象とした会計用の専用機として開発されました。

IBMの花形であるIBM System/360との競合を避けるため、最上位モデルであってもIBM System/360の最下位モデルの性能には及ばないように設計された上で、『コンピューター』とは呼ばすにあえて『Automated Unit-Record Machine(レコードの自動処置装置)』と呼んでいたとのことです。

その技術的・政治的な努力の結果、1950年代に使用されていた80カラムのパンチカードを進化させた96カラムのパンチカードを処理するマシンを原型とし、ハードディスクを持ちながらも、利用コストは月額1,000ドル以下と、IBM System/360 モデル20の半額程度に抑えることに成功します。

更に、元はクエリー用ツールとして設計されていた『RPG』(Report Program Generator)を改良した『RPG Ⅱ』が搭載され、ユーザーが事務処理を簡単にプログラミングできる言語として重宝しました。

登場時には『Low-End(最小)』、現在では『Midrange(中型)』と呼ばれるカテゴリのIBM System/3は、市場から大いに受け入れられ、発表から5年後の1974年7月までに25,000台のセールスに成功しました。

性能を抑えて低価格を実現し、さらに開発コストの低減にも配慮されたアプローチと言えます。

IBMのオフコン② IBM System/32について

ハードウェアとソフトウェアを組み込んだ最初のシステム

1975年1月7日。現在も子供たちの心を掴んで離さない特撮スーパー戦隊シリーズ初作品・秘密戦隊ゴレンジャーの放送開始3か月前。
IBMはSystem/3の後継である『IBM System/32』を発表しました。

主に中小規模の法人や部門の事務処理に用いられたIBM System/32は、処理装置に加えて、6行×40文字の非常に小さなディスプレイや、IBMのキーパンチに似たキーボード、プリンタ、ディスク装置、8インチフロッピーディスク装置等をデスクサイズにまとめた上で、IBMによって調整された業種別(建設業、紙と事務用品の卸売業、食品の卸売業、病院、会員組織、協会)の業界アプリケーション・プログラムを組み合わせて販売されました。
これを持って、IBMは『ハードウェアと包括的なアプリケーションソフトウェアを組み込んだ最初のシステム』と表現しています。

System/32の中身は16bitのシングルユーザーシステムですので、オフコンというよりもパソコンの近縁種と言った方が妥当なのかもしれませんが、現実としてほとんどのSystem/3ユーザーがSystem/32に移行して、発表からおよそ3年後の1978年5月には、IBM System/32のユーザー数はIBM System/3を上回ったとのことですので、当時の中小規模の法人ではシングルユーザーシステムで問題がなかったのだと思います。

システム構成もアプリケーションもオールインワンで提供して、分かりやすく導入の敷居を低くするアプローチと言えます。

IBMのオフコン③ IBM System/34について

性能を大幅にアップ

1977年4月。日本のお天気を見守る静止気象衛星ひまわりの第1号が打ち上げられるおよそ3か月前。
IBMは性能を大幅にアップして、マルチユーザー/マルチタスクに対応したSystem/32の後継である『IBM System/34』を発表しました。
このシステムは主に中小規模の法人や部門の事務処理に用いられ、さらにメインフレームと通信した分散処理にも利用されました。

内部はSystem/32ベースのCSP(Control Storage Processor)とSystem/3ベースのMSP(Main Storage Processor)という2つのプロセッサからなる混成構成で、処理性能はIntel社製の80386の16~20MHzと同様という話もあり、CPUの性能進化が著しいこの時代にリリース時点で8年先の高速CPUに比肩する性能を持っていたことになります。

1979年には日本IBMから漢字処理を可能にするハードウェア・ソフトウェア群『漢字システム/34』が発表され、EBCDIC(英数カナ)128字種に加えて、IBM漢字システム文字セット7190字種とユーザー選定文字4370字種を扱うことができるようになります。

System/3のエミュレーション等で直面した先代System/32の性能不足を、真正面から解決する順当な性能向上というアプローチと言えます。

ちなみに、掲載写真にあるIBM 5251ディスプレイステーションとIBM 5256プリンターを併せたものが、IBM iユーザーには非常に馴染み深いIBM5250システムです。

IBMのオフコン④ IBM System/38について

非常に画期的かつ先進的なテクノロジーの採用

1978年10月24日。日本全土にブームを巻き起こしたタイトー社のゲーム・スペースインベーダーの発売から2か月。
IBMはアーキテクチャーをSystem/34から大幅に変更した『IBM System/38』を発表しました。

System/38は究極のビジネス用途のシステムを追求して設計されたため、非常に画期的かつ先進的なテクノロジーが盛り込まれました。
アドレスの48bit化への拡張に加え、SLS(Single-Level Store)アーキテクチャーが実装されたため、ストレージアクセスが極めて容易になりました。
SLSとはIBM i界隈では極めて有名ですが、要はCPU内のキャッシュを含めたメモリやストレージなどの様々な記憶装置を、単一の巨大なアドレス空間で管理する仮想記憶のメモリ管理技術です。

さらにRDBMS(リレーショナルデータベース)の実行メカニズムをファームウェアで標準実装することでデータベース処理の大幅な高速化に成功しました。
また、アプリケーションをハードウェアから分離・独立させる仕組み(Machine Interface...後のTIMI:Technology Independent Machine Interface)でアプリケーションの永続性を実現したり、複数人が複数アプリケーションを同時に稼働させても誤作動しないオブジェクト・アーキテクチャを実装しました。

それら数々の先進的な技術はユーザーに多大な恩恵をもたらすことに成功します。ただ、あまりにも既存のアーキテクチャから乖離してしまった結果、System/38はSystem/34の後継機であるにも関わらず、System/34やそれ以前のシステムとの互換性を失ってしまいました。
その結果、発売から最初の5年間で推定20,000台のSysytem/38を販売したとのことですが、性能の向上に伴って価格が非常に高くなってしまったことも相まって、利益率や収益性は高かったものの最終的な出荷台数は低調に終わった様です。

性能の向上や未来に繋がる技術的投資も、結局は低コストの内で実現しなければセールスに繋がらない厳しい現実を突き付けられた印象です。

IBMのオフコン⑤ IBM System/36について

必要十分な性能で低価格かつコンパクトなシステム

1983年5月16日。後に商標の普通名称化が起こるほどに流行した任天堂のファミリーコンピュータが発売される2か月前。
IBMはSystem/38ではなく、System/34の後継であるSystem/36を発表しました。

System/36はSystem/34と同じくミドルレンジに向け開発された製品で、System/3、system/32、System/34のすべてのシステムと互換性を持つ真のSystem/34の後継機です。

基本的な構造はSystem/34と同じくMSP+CSPという構成で、最初のシステム(IBM 5360-A)は動作周波数も同じく1MHz/4MHzでした。
後のモデルでは動作周波数が高速化され、メモリー搭載量も拡充されましたが、なによりも小型・静粛化に非常に力を入れていて、最終的にはPCと遜色ないサイズに収まることになります。

具体的には、System/36の最初のモデルであるモデル5360は重量が約318kgで価格も14万ドルほどしたそうですが、翌年に導入されたモデル5362ではタワー型フォームファクターを採用し、搭載できる周辺機器の数こそ少なくなったものの、重量が約68kgで価格は2万ドルほどに収まったとのことです。

先進機能をふんだんに取り入れたSystem/38がセールス的には失敗したことを受けて、System/36では低コスト路線に舵を切った・・・と言い切るには、当時のIBMが置かれていた背景はデリケートかつ複雑過ぎます。(この辺りの詳細は次回でもう少し触れます)
とは言え、過去の資産を継承し、必要十分な性能で、低価格かつコンパクトなシステムを提供するというアプローチは、オフコンのそれとしては最適解だと感じますし、実際にセールスも好調でしたので、少なくとも間違いではないと思います。

まとめ

IBMのオフコンの歴史(AS/400発表まで)

今回はIBMのオフコンの歴史を教材として、オフコンがどの様な方向性をもって設計されてきたかを掘り進めてみました。

単純な性能の進化や、新機軸の技術の導入など、ユーザーの利便性を向上させる方向性は決して無駄ではないものの、『必要十分な性能で低価格かつコンパクトなシステム』という身も蓋もないコストパフォーマンス重視の結論が一番腑に落ちます。
やはり、オフコンはメインフレームの単なるダウンサイズ版だったのでしょうか?

いいえ。コンピュータ業界の巨象と謳われたIBMが、そんな控え目な結論で満足するはずがありません。

次回は、当時IBMが置かれていた背景にも触れて、IBMがSystem/38やSystem/36で培った知見を基に・・・より乱暴に言えば、それらを踏み台として世に送り出したIBM iの元祖『AS/400』についてまとめてみたいと思います。